その他
公開日:2024/06/11 最終更新日:2024/06/14
かつて、宮島では一攫千金が手に入る夢に満ちた催し“富くじ”があったのをご存じでしょうか。
富くじとはいったいどんな催し事なのか?現存する資料は宮島にあるのか?
この記事を読めば、宮島の富くじのすべてがわかります。
富くじは、現代でいうと宝くじのこと。
「一攫千金いけちゃうかも!家もごちそうも旅行もぜんぶ手に入るかも!」なんて夢をもつのは、江戸人も現代人もまったくかわりません。
だからこそ、江戸時代の宮島の人たちは富くじにそうとう熱狂したようです。
当選金は、家一軒が建つほど莫大なものだったそうです!
なお、富くじは単に人々の“娯楽”としてだけでなく、藩の大きな収入源でもあり“政治や経済”のスムーズな運営にも一役買っていたと思われます。
宮島の富くじには、人々の娯楽的な意味はもちろん、藩の財政収入の意味もあった!
じっさい、富札は瀬戸内海全域にわたって売りさばかてれいました。
宮島の富くじは、次の段取りで行われていました。
とてもシンプルです!
宮島での富くじの歴史をざっくりいうと、次のとおりです。
時期 | できごと |
江戸(詳細時期不明) | 宮島で富くじスタート |
1688~1704年 | 年5回ペースで行われるほど盛んに |
幕末期 | 禁止と再開を繰り返し、ついには終了 |
2024年 | 富くじをアレンジし、宮島夜市でイベントとして再開 |
幕末期から、じつに150年以上のときを経て、宮島夜市で復活させました!
なお、復活させたときのイベント模様は次のとおりです。
宮島には、江戸時代に隆盛をきわめた富くじの資料が残っています。
宮島歴史民俗資料館には、富くじをするのにかかせない富札と木駒が現存資料として残っています。
資料の写真は本ブログでは公開できませんので、ぜひ実物を宮島歴史民俗資料館でご覧ください。
宮島の西連町には、富くじの抽選会場となっていた“大束富くじ場跡”があります。
こちらで、一攫千金を夢見る江戸の人々の熱が渦巻いていたことでしょう。
アクセスとしては、宮島桟橋から歩いて7~8分くらいです(以下google mapご参照)。
江戸の宮島では、娯楽として、そして藩の財政収入のために富くじが行われていました。
宮島に現存している資料としては、
があります。
ご来島のおりは、ぜひご覧ください。
この記事を書いた人