厳島の能について

能

厳島の能

神能

厳島の能の起こりは大内義隆が天文20年(1551)長門の国、大寧寺に滅び、弘治元年(1555)厳島合戦で陶軍に勝利した毛利元就によって、永禄6年(1563)を始めとし度々奉納されています。

永禄11年(1568)には観世大夫が下向した際「前略、江の中に舞台を張らせて九番の演能があり、その後、棚守房顕の屋敷で舞台を張らせ十一番を演じた」と『房顕記』に記されています。

関ヶ原の合戦の後毛利氏に替わって福島氏が芸備の藩主となり、その後、元和5年(1619)紀州より浅野氏の支配下になった頃から厳島は藩直属の宮島奉行、宮島元締役、宮島帳元が置かれ、また、交通機関の発達と共に、神社を中心とした観光地の性格を帯びるようになりました。春・夏・秋三期の市も立ち、賑やかさを増していきました。福島氏、浅野氏共に演能は盛んに行われていました。

明治時代になって祭典が新暦となり春の大宮祭を「桃花祭」とし従来の3月15日を1ヶ月遅れの4月15日にして16日から3日間を桃花祭御神能としました。
御神能は、初日と2日目に初めに翁が舞われ、3日間とも正式な五番立で、間に狂言が入り、江戸時代からの本式な演能を鑑賞することができます。

  • 神能・羽衣
    神能・羽衣
  • 神能・猩々
    神能・猩々
  • 神能・花月
    神能・花月
  • 神能・舎利
    神能・舎利