宮島踊り・餅搗き唄について

宮島踊り・餅搗き唄

宮島踊り

宮島踊りの夕べ

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宮島踊の特徴

とてもスローテンポで優雅な踊りです。
すり足で両手を目の前で交差し、手拍子もなく、絶えず手足が動いており静止しているときがありません。
編み笠をかぶり顔を隠し、黒紋付を身に付けるのが踊りの正装です。
踊り方は舞楽から取り入れられているとの説もあります。
なお、宮島踊は廿日市市無形民俗文化財にも登録されています。


宮島踊の起源

起源としては、宮島海域で亡くなった海賊の祟りを鎮めることを目的としてはじまり、その起源は約500年前にさかのぼります。

1578年、宮島へ来た伊予国(現在の愛媛県あたり)の多賀江兵衛の一行が、舞楽を見て悪口を言ったり、祭儀中の嚴島神社に乱入して暴れまわるなどしておりました。

その帰り、暴風雨となり船が転覆し、多賀江兵衛の一行は多くの命を落としました。

そののち、命を落とした亡霊が祟りを起こし、宮島周辺の船の航行を妨害し始めたので、慰霊のために念仏踊りをはじめたのが宮島踊の起源です。

なお、踊りをはじめてからというもの、祟りはなくなったと言われています。

なお、毎年8月17日、18日は宮島踊りの夕べを開催しております。
ぜひご参加ください。



餅搗き唄

餅搗き唄

宮島における餅搗きは、もっぱら正月を祝うための餅搗きです。

現在、餅搗きを見られるのは、12月24日の岩村家(旅館岩惣)と毎年10月15日の氏神祭のとき、北之町(5区参和会)で行われる餅搗きです。
宮島の餅搗きは、「捏[こ]ね」「搗き」の2度搗きに特徴があります。2度搗きの特徴は、「捏ね」で、4人が小振りな杵を持ち、臼を取り囲み、捏ね唄を唄いながら煉り廻します。
煉り唄は、一人が唄い始め、他の三人が合唱して後に続いて唄います。
「搗き」に入ると、4人が交互に早いスピ-ドで搗きます。

搗き歌は、煉りよりテンポが速く、搗き手の動作に合わせて唄われ、また三味線もあわせて急テンポで奏します。

捏ね唄

めでためでたの この餅搗きは(え- この餅搗きは)
末は(鶴亀 五葉の松)
 ※(え-えんしょ えんしょ えんしょ えんしょ え-んしょお-とね- は-やっさいやっさ)
鶴が舞いますこの家の棟で
 ※この家の棟で
おいへ
 ※繁昌と舞い遊ぶ
 ※(え-えんしょ えんしょ えんしょ えんしょ え-んしょお-とね- は-やっさいやっさ)

以下次々と唄われる

餅つき

めでためでたが三つ重なりて
  末は鶴亀五葉の松
安芸の宮島廻れば七里
  浦は七浦七恵比須
島と名がつきゃどどの島も可愛い
  わけて島田はなお可愛い
お前百までおれゃ九十九まで
  ともに白髪の生えるまで
めでためでたのこの餅搗きは
  末は鶴亀五葉の松


搗き唄

揃た揃いましたえ えんやえんやえっへんよ(は-よいなよいな)
杵が四丁揃た(稲の出穂よりゃ なおよく揃うた しょんがえ)
揃た揃いましたえ えんやえんやえっへんよ(は-よいなよいな)
若い衆が揃た(稲の出穂よりゃ なおよく揃うた しょんがえ)

これのおせどにゃえ- えんやえんやえっへんよ(は-よいなよいな)
茗荷と蕗と(茗荷めでたや 蕗繁昌 しょんがえ)

娘島田にゃえ- えんやえんやえっへんよ(は-よいなよいな)
蝶々が止まる(止まるはずだよ 花じゃもの しょんがえ-)

船は大黒丸え- えんやえんやえっへんよ(は-よいなよいな)
船頭は恵比寿(中のお客は 福の神 しょんがえ-)

これがこの家のえ- えんやえんやえっへんよ(は-よいなよいな)
納めの臼よ(臼に神楽を あげまする しょんがえ-)