山のふもとでね、百姓の女房が、家の前で豆を煮ていたんだね。そしたら、山から修験者が下りてきて、
「実は、この山で、飲まず食わずの行をしていたんじゃが、見ればおいしそうな匂いがする。その豆を一皿功徳してくれないか」
って、たのんだんだね。ところが、女房は豆をあげるのが惜しいんだね。
「せっかく来られたんだが、この豆は人間の食べるものじゃない。実は、これ馬が食べる豆なんじゃ。馬に喰わすために炊きよるんだから、あんたにゃあげられんよ」と、こう言うて、にべもなく断ったんだねぇ。すると修験者は、
「では、しかたがない」
と、とぼとぼ立ち去った。そこへその亭主が戻ってきて、
「ああ、野良仕事をしてお腹がすいた。おお、おいしそうな豆だ。食べさしてくれぇ」と言って、パクパクその豆を食べたんだね。
すると、その亭主は馬になっちゃったんだねぇ。女房がびっくりして、これは今の修験者の祟りだ。これだけの霊験をあらわすのは、あれは、弘法大師様だ、と女房が悟って、今からでも行ってお詫びして来う、追っかけよう、っていうんで、もう何もかも放ったらがしておいて走って行ったら、お腹の空いた弘法大師がボソボソと歩きよる。で、前へ回って、もう平身低頭して謝って、
「悪うございました」
ってお詫びしたらね、
「ああ悪いと思えばそれでいい。豆はあんたのもの。豆を欲しがったのはわしの方だから、それでいいんだよ」
と言って、スタスタとね、笑って何とも気にかけないで行こうとするのを、
「待ってください、お大師様。そのように大らかに許して下さるのならば、どうぞもう一度戻ってください。こんどは私が心ゆくばかりのおとき(お食事)を差し上げますから」と女房が引き止めたら、「そのようにしてくれるなら、わしもお腹が空いてるんだから・・・」
って言って、ついて帰って、それでまぁ丁重におとき(お食事)を揃えて差し上げてね、
「ああ満足した。おかげで満腹したから、このお礼に、亭主殿を馬にしてしもうたが悪かった。もとのとおり戻してあげよう」
っていうんでね、それでその馬の頭をこう手でなでながらね、何か呪文かお経を誦みはじめたんだそうですよ。
すると、だんだんその長い馬の顔が人間の顔に、もとの亭主の顔になるんだそうです。それから今度は、首の方をまたお経を誦みながらなでるとね、その長い馬の首も短くなって人間の首になって、それから肩も弘法大師がなでてお経を誦むと、自然に人間の肩になり、手になり、すっかり胸から腹から・・・・なでるほど人間のもとの亭主の姿に戻ってきて、おヘソの下くらいまでなでていったら、そうしたら女房が
「お大師様、待ってくだされ。そこから下はそのままでようございます」
広島民俗 第64号 話者 越智宗政