五日市の海老山[かいろうやま]の麓に貧しい道空[どうくう]という名の漁師夫婦が住んでいたそうな。
厳島大明神を深く信仰し、毎日、漁で獲れた魚をお供えしていました。
ある時、漁に出ていると島の沖に蓬莱[ほうらい]が浮かび、海が黄金の砂になりました。
その砂を船に汲み入れて帰り、道空は長者になりました。
また、家の傍から温泉も湧き出すなど家運が高まり、長者になった夫婦は、厳島大明神の霊験と敬神の念がますます深くなり、その財を投げうって社殿の修復にあて、また海老山の麓に、嚴島神社の摂社として塩竃[しおがま]の神をお祀りしたお宮を建てました。
しかし、道空に悩みがありました。
一人息子の道裕[どうゆう]が、人の言うことを逆さに聴く性分で育ち、右と言えば左。海と言ったら山、上と言ったら下と言い、人は皆「あまんじゃく」と言っていました。
道空がいくら言い諭しても改めることがありませんでした。
道空は、自分の余命がないことを知ったとき、「あまんじゃく」の道裕を枕辺[まくらもと]に呼び寄せて、「私が死んだ後も塩竃明神の傍に墓を造ってもらい、死んだ後も明神に仕え、お世話をしたい。」と言いたいが、「あまんじゃく」が逆さに聞いたらどうしたものかと、心にも無く「あまんじゃく」に逆さの「津久根島に葬ってくれ。」と言い残して死にました。
道空の死後、さしもの「あまんじゃく」も親の屍[しかばね]に涙して、たった一つの孝行を尽くしたいと、遺言を守って、父の墓を津久根島という寂しい孤島に建てました。
「あまんじゃく」は生涯不幸の子でした。
伝説:三女神が芋つくねを投げたところ島になったので、津久根島と名付けられているという。