平安時代の後期、徳大寺大納言藤原実定[とくだいじだいなごんさねさだ]卿が厳島に参籠[さんろう]している時、琵琶の名手で十七歳になる有子内侍[ありこないし]を寵愛[ちょうあい]され、次のような歌を詠みました。
「山の端に 契りて出んよはの月 めぐり逢べき折を知らねど」 実定卿
やがて、実定卿が都に帰るとき、有子内侍は嘆き悲しみ、船を追いかけ、この岩に立って卿の船が見えなくなるまで別れを惜しんだという。
この岩を内侍岩という。
内侍岩は、大野の対岸、室浜の西側300m位先の海岸にあります。
「はかなしや 浪の下にもいりぬべし 月の都の人や見るとて」 有子内侍