参拝時間 | 8:30(開門)~17:00(閉門) |
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場所 | こちらをクリック(google mapが開きます) |
拝観料 | 無料 |
開基 | 不明(1201~1203年 僧 了海が再興) |
宗派 | 真言宗 |
ホームページ | 亀居山 放光院 大願寺 – 日本三大弁財天の一つを奉安 |
明治元年(1868)の神仏分離令までは、筥崎宮[はこざきぐう]や宇佐八幡宮など多くの社寺の修理造営を掌っており、また大願寺の僧は、全国を托鉢[たくはつ]できる許可を持っていて、その費用に当てていました。
亀居山とは、千畳閣・五重塔がある塔の岡一帯の海に突き出たところで、空から観ると亀の姿に似ているところから名が付いたといわれています。
大願寺は、東側の塔の岡から西側の多宝塔・経の尾付近までが境内地で厳島伽藍[がらん]と呼ばれ多くの堂塔がありました。
現在の本堂は昔の僧坊で、大経堂である千畳閣が本堂になる予定でした。昔、参拝者は、大鳥居をくぐり、大願寺近くの砂浜に上陸した後、大願寺の裏にあった大風呂で身を清め、僧坊で休憩、着替えをして嚴島神社に参拝しました。嚴島神社の出口が唐破風造りで、昔は入口であったことがうかがえます。
また境内の池の中には、弁財天の使いとされる厳島龍神がお祀りしてあります。
本堂には、国の重要文化財である仏像が四体あり、その中の薬師如来坐像は、弘法大師の作と伝えられています。また、神仏分離令で千畳閣から移された、行基作と伝えられる釈迦如来坐像と阿難尊者像[あなんそんじゃぞう]・迦葉尊者像[かしょうそんじゃぞう]、五重塔から移された釈迦如来座像・文殊菩薩[もんじゅぼさつ]・普賢菩薩[ふげんぼさつ]の三尊像があります。本堂の正面手前には、賓頭盧尊者[ひんずるそんじゃ]があり、なで仏として親しまれています。
大願寺の本尊厳島弁財天は、相模国[さがみのくに](鎌倉)の江ノ島、近江国[おうみのくに](琵琶湖)の竹生島とともに、日本三大弁財天の一つです。厳島弁財天大祭は毎年6月17日に行われます。年に一度この大祭のときに御開帳され、一般の人も拝観することができます。神仏分離令までは、嚴島神社の御本殿にお祀りしてありましたので、一般の人が拝観する機会は無かったと思われます。
本堂軒下には、明治時代に開催されたパリ万国博覧会に出展された錦帯橋の1⁄25の模型が架けられています。
戦国時代の天文7年(1538)尊海上人が、大内義隆の援助で、一切経[いっさいきょう]を求めて、当時李朝であった朝鮮国に渡りました。この時の日記が、大願寺所蔵の瀟湘八景[しょうしょうはっけい]屏風の裏面に記録されて、当時の朝鮮国の様子を記した貴重な資料で「尊海渡海日記」として国の重要文化財に指定されています。
年代・年号 | 出来事 |
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建仁年間(1201~1203年) | 僧・了海により大願寺が再興される(開基不明) |
慶応2年(1866年) | 第2次長州戦争の講和会談が大願寺書院で行われる (幕府方の勝海舟と長州藩の広沢真臣) |
明治元年ごろ(1868年ごろ) | 神仏分離令により、弁財天像などが嚴島神社から移される |
平成18年(2006年)4月 | 明治時代に焼失した護摩堂が再建され、不動明王半迦座像の開眼式が行われる |