豊臣秀吉の命により、安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)が建立をはじめたものの、秀吉の急死によって未完成のまま現在にいたっています。
857畳の畳を敷けるほど広く、軒瓦には金箔が押してあることから、完成していればさぞや豪華な桃山文化を取り入れた大経堂になっていたと思われます。
内部には大鳥居再建工事で使われた尺(しゃく)杖(づえ)があり、天井にはたくさんの絵馬が掲げられており、とても見応えがあります。
なお、かつては本尊として釈迦(しゃか)如来(にょらい)・阿難(あなん)尊者(そんじゃ)・摩(ま)詞(か)迦葉(かしょう)尊者(そんじゃ)の仏像がありましたが、明治時代の神仏分離令のときに大願寺に移されています。
昇殿料 | 高校生以上:100円 / 小中学生50円 |
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開門時間 | 8:30~16:30 |
構造 | 桁行約40m/梁間約21m 単層本瓦葺入母屋 |
創建 | 1587年 |
ご祭神 | 豊臣秀吉 加藤清正 |
備考 | 国重要文化財・特別保護建造物 |
中に入ってのご見学はできません。外からご覧ください。
和様と唐様を巧みに調和させた建築様式です。
桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しいです。
内部は完全な唐様で、一般の見学はできませんが、内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれています。
心柱は2層目で止まっており、下まで達してないため振り子のように横揺れに強く強風にも耐えられる構造になっています。
現在まで五重塔が建造当時とほぼ同じ姿をとどめているのは、高度でしなやかな構造あってのことです。
なお、かつては本尊として釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩の仏像がありましたが、明治の神仏分離で大願寺へ移されました。
構造 | 高さ27.6m/方4.558m 3間5重塔婆、檜皮葺 |
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創建 | 1407年 |
備考 | 国重要文化財・特別保護建造物 |
※令和7年9月まで工事中。現在はご覧いただけません。
※中に入ってのご参拝はできません。外からご覧ください。
外部は純和様で、貫の鼻が拳鼻になっているなど大仏様や台輪など禅宗様も細部に見られます。
屋根は方形ですが、下層の屋根には饅頭型の亀腹があるため、上層の柱は円形に配列されています。
厳島合戦時には、陶軍が最初に陣を敷いた場所で「勝山城」の跡でもあります。
かつて、師如来像をお祀りしていましたが、明治維新の神仏分離令で大願寺に移されました。
構造 | 高さ15.6m/杮葺き |
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創建 | 1523年 |
備考 | 国重要文化財・特別保護建造物 |
昭和29年(1954年)、平清盛 没770年にあたり、宮島町民有志が清盛公の遺績を称えるとともに、霊をお慰めするために建てました。
毎年3月20日に清盛神社祭が行われています。
構造 | 一間社流造り/檜皮葺/丹塗 |
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創建 | 1954年 |
ご祭神 | 平清盛 |
※中に入ってのご参拝はできません。外からご覧ください。
屋根は杮葺六枚重三段葺という日本で唯一ここだけの葺方です。
創建は、嚴島神社よりも古い地主神です。
毎年1月20日に百手祭が行われ、神饌は古い形式を残し、珍しく熟饌(煮炊きしたもの)である餝飯をお供えします。
構造 | 三間社流造り |
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創建 | 不明(嚴島神社より古いといわれています) |
ご祭神 | 国常立尊 大山祇神 保食神 |
備考 | 国宝・国重要文化財 |
滝小路にあり、商業・醸造・医薬等の守護神で、諸々の病気平癒、家内安全の神です。
男神ですが女性の守護神で、特に安産の神様として信仰が篤いです。
構造 | 切妻造り |
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創建 | 不明 |
ご祭神 | 少彦名神 |
※社殿内に入ってのご参拝はできません。外からご覧ください。
平清盛公が近江の日吉(ひよし)山王(さんのう)を勧請(かんじょう)したことから山王社と言われていました。
明治以降に三翁神社と言われるようになりました。
構造 | 一間社流造 檜皮葺 |
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創建 | 不明 |
ご祭神 | ▼中央殿佐伯鞍職 所翁 岩木翁 安徳天皇 二位の尼 大綿津見命 ▼左殿 大巳貴命 猿田彦神 ▼右殿 御子内侍竹林内侍 徳寿内侍各祖神 |
※社殿内に入ってのご参拝はできません。外からご覧ください。
かつて疫病の神 牛王が祀られ、社殿背後に陰陽石があり、道祖神社とも呼ばれていました。
神社の前の通りには、金鳥居があったと言い伝えられています。
構造 | 一間社流造 |
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創建 | 不明 |
ご祭神 | 猿田彦大神 道祖神社 |
▼金鳥居の当時の様子
(出典:厳島図会 上巻)